竹取物語

ようこそ!!

シニアのかぐや姫が語る、日々の出来事・感じた事など・・・。

      またのお越しをお待ちしております。



           

2007.02.20 Tuesday

パピルス

エジプト旅行をした従姉妹から、お土産の「パピルス」が届きました。
保証書には、<古代エジプトと同じ製方で作られた、本物であることを保証します> と。

「パピルス」とは、カヤツリグサ科の大型水草で、古代エジプトでこれを使って世界最古の紙が作られた。
ナイル川流域に自生するパピルスの茎を採り、皮を剥いで白い髄を細かく裂き、その維菅束を縦横に並べて重しをかけ乾燥、さらに擦って滑らかにしたパピルス紙を作り、当時の地中海地方唯一の筆耕材料とした。(平凡社大百科事典より)

パピルス紙には、クレオパトラやツタンカーメンなど、古代エジプトの王侯貴族の残した遺物からとられた絵柄が描かれています。

額装して壁にかけて、古代エジプトに思いを馳せましょう。。。嬉しい

パピルス 27cm×35cm
パピルス

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2006.11.05 Sunday

オルセー美術館展(神戸市立博物館)

19世紀 芸術家たちの楽園
1章〜5章で構成され、展示されている140点の中から、女性画家ベルト・モリゾ,その娘ジュリーが描かれた絵と、モリゾの描いた絵の3点が印象に残った。

ダイヤ すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ (1872年 マネ)

モデルのモリゾの顔と眼の輝きを引き立たせるために黒い服を選んでいる、、黒の色は多く使われているがとても美しい。
片側から当てられた逆光ぎみの光が影を生んで肌はより美しく、目元、口元は魅力的。
奇抜な帽子、襟元にちらりと覗く白いブラウス?、襟元の控えめな すみれのブーケがモデルの個性を引き立てている。

ベルト・モリゾはマネの影響を受けた画家で、1874年にマネの弟と結婚、娘ジュリー・マネが生まれる。

ダイヤ ジュリー・マネ(あるいは猫を抱く子ども) (1887年 ルノワール)

微笑をたたえ、丸顔で首をかしげたポーズの少女、膝上の猫の顔は幸せに満ちて・・・
輪郭線を用いて描き、「アングル風の時代」と呼ばれている時期のルノワールの名作。

モリゾの自宅にはドガやルノワールがしばしば招かれ、ジュリーは印象派の画家たちに囲まれた少女時代を送る。
モリゾがルノワールに娘の肖像画を依頼し、描かれたのがこの絵。

ダイヤ ゆりかご (1872年 モリゾ )

1874年、第1回印象派展に出品された、モリゾの姉とその子どもを描いたモリゾの代表作。
わが子を見つめる母の慈愛に満ちた表情を優しく描いている。
黒と白の斬新なタッチは、マネの影響を受けているそう。
(参考資料 ガイドブック)

1900年、パリ万博の開催に合わせて建設された駅、兼ホテルから、1986年に美術館として生まれ変わったオルセー美術館、、この目で見てみたいとも思うが・・・
マネ、モネ、ルノワール、ゴッホなどの名作が、身近な神戸で鑑賞できることは幸せなことです。
展示期間も長いためか、週末の午後、待つ事なく入館出来たが、、館内はかなりの人で、肩越しの鑑賞となる場面もあった。。。               (11月4日)         



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2006.11.02 Thursday

太陽の塔内覧会&万博ミュージアム(2)

万博ミュージアム
「万博ミュージアム」は、大阪万博コレクターで有名な白井達郎氏の私設ミュージアムです。
万博公園特別会場(太陽の塔東側、鉄鋼館)で、懐かしい万博グッズの公開がありました。ときめき
太陽の塔、ポスター、コンパニオンの制服からバッジ、その他、いくつものショーケースの中には懐かしいお宝グッズの数々!
5,000点ものコレクションをされていて、その一部とお聞きして仰天! びっくり
♪ こんにちは〜 こんにちは〜 世界の国から〜 ♪と、三波春夫の歌声が流れる中、白井館長から展示品の説明や当時の懐かしいお話をお聞きし、あの頃にタイムスリップ!

万博では、アメリカ館の月の石や世界各国の展示品を見て、珍しい食べ物を味わい、、、とにかく大勢の人で大変だった。

会場で、若いアベックに「万博を見たのですか?」と尋ねられ、「子供を連れて何回も来ましたよ」と、答えると不思議そうに見られ・・・ その子供も今はオジサン!
あのお祭り騒ぎで楽しかった万博を思い出し、懐かしんだ一日でした。。。楽しい        
(10月28日)

※展示品の撮影は出来ないので、、、私のコレクションの
万博記念切手、初日カバー、切手帳 冷や汗

    万博記念切手         

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2006.11.01 Wednesday

太陽の塔内覧会&万博ミュージアム(1)

太陽の塔内覧

36年振りに見る「太陽の塔」内部は、照明が少なくて薄暗い。
が、壁面のうろこ状の突起物(名称が分からず)の真っ赤な色が目に飛び込んで来る。
その色はマグマを連想させる。 上部を見上げるが暗くてよく見えない。

「生命の樹」が・・・当時、大勢の観客に驚きの目で見つめられた、高く伸び、生き生きと輝いていた五色の「生命の樹」。
今は・・・樹には埃が積もり、心なしか色褪せて、ゴリラ、恐竜、アンモナイト、三葉虫など約20体だけを留めて、だだ静かに立っている。。。

塔内へは、お祭り広場スタンドの入り口から入り、地下通路を通って搭背面下部から入る。
通路には、当時の塔内展示物などのパネルが展示されているが、整列しての歩行で見ることが出来ず、通路、内部共に撮影禁止・・・そのため、見学した事柄に曖昧な点があるかも。
36年の時の経過で感動、記憶も薄れがちな私、当時の万博ガイドブックで予習しての参加。。。

当時、「太陽の塔」の内部に作られた高さ45mの「生命の樹」は、五大陸を象徴する色、青・黄・黒・緑・赤で作られ、生命を支えるエネルギーの象徴、未来に向かって伸びていく生命の力強さを表現していた。
単細胞の原生生物から人間が誕生するまでを、年代ごとに代表的な生物の模型で示されていた。

「地下・根底」の世界から塔内に入ると、地底から燃え上がる炎に照らし出されたおびただしい原生動物の群れに出会い、やがて4基のエスカレーターに運ばれて<三葉虫時代>から<魚類時代><両棲類時代><爬虫類時代><哺乳類時代>へと、その進化のあとを辿りながら昇っていった。。。
展示されていた模型は約300体、そのうち何体かは、まるで生きている様に動いた。

塔内には、地底から響く「地底の歌」と頂上から降り注ぐ「天上の歌」が同時に流れ、この二つが溶け合って「生命の讃歌」を歌い上げていた。 (万博公式ガイド参照)

当時の搭、テーマ館などの映像を見ること約12分、展示物を見ながら簡単な説明を聞き、30分足らずの見学。
映像の中で、エスカレーターに乗り、喜々としてマンモスを見つめていた少年も今はオジサン!?
見学者の多くは万博を知らない世代、この内覧からどの様に当時を想像するでしょう???
(10月28日)     

     生命の樹      

「生命の樹」
万国博オールガイド(実業之日本社)誌から    
  

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2006.10.02 Monday

「ジョン万次郎の夢」劇団四季尼崎公演を観て

「ジョン万次郎の夢」は、今から150年ほど前の日本が鎖国中だった時代に、1人の若者がアメリカの文化と出会い「このままでは日本は世界に遅れてしまう、日本を開かなければいけない。世界と日本をつなごう」と決心し、何度も壁にぶつかりながらも「きっと夢は叶う」と信じ、夢の実現に向かって歩み続ける姿を描いた作品です。

(劇団四季 全国公演本部長 鈴木善大氏の尼崎公演に寄せて、から)
幕末の頃、土佐の国の漁師万次郎(14歳)は、仲間と初めての漁に出て大しけに遭い、無人島(鳥島らしい)に漂着する。
4ヶ月目に、通りかかったアメリカ捕鯨船のホイットフィールド船長に助けられ、アメリカに渡ることになる。船

限られた舞台上で、装置・道具類と共に、演技者の動きが、荒れ狂う海や航海の様子を見事に表現していて思わず息を呑んだ。グッド

万次郎はアメリカで暮らして8年、多くのことを学び、経験し、いつまでも鎖国を続ける日本人に心を痛め、国を開くことを決意して帰国する。

万次郎帰国後の第2幕では、島津の殿様、福沢諭吉、勝海舟、老中なども登場 、、時代劇の雰囲気も加わったミュージカルは楽しいものでした。楽しい

カーテンコールが何度もされて 拍手拍手拍手 、、、観客は暫し余韻にひたった。。。
   10月1日 尼崎アルカイックホールにて
 
    
   携帯撮影で写りイマイチ 会場入り口のポスター  

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2006.09.23 Saturday

太陽の搭の内部を見に行こう!

大阪万博から36年、今もシンボル「太陽の搭」は健在。拍手
一昨日、万博公園の近くに用があって...
太陽の搭が見えるといつも傍まで行きたくなる。。。

黄金の顔(未来の顔)、太陽の顔(現在の顔)、黒い太陽(過去の顔)、地底の太陽は現在行方不明だそうで...
搭の姿と3つの顔はいつ見てもユーモラスで飽きない。楽しい

開催時、内部に生命の樹がつくられ、樹の枝には原生動物から人間誕生まで、年代ごとに代表的な生物の模型が飾られていた。

今、搭の内部はどうなっているのであろう???

10月末頃の「太陽の搭内覧ツアー」を見つけたので参加しよう。。。ときめき

太陽の搭 太陽の搭 正面

            太陽の搭 背面 
                  (9月21日 撮影)

※ 写真はクリックすると大きくなります。       

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2006.06.26 Monday

藤田嗣治 展 ”パリを魅了した異邦人”

生誕120年を記念しての回顧展が京都国立近代美術館で開催され、パリ時代から晩年に至るまでの約100点が公開されています。
どちらかと言うと油絵より日本画の好きな私、藤田嗣治は乳白色の肌色の裸婦像でパリを魅了した画家との予備知識で出かけましたが・・・
パリ時代から晩年に至るまでの波乱万丈の生涯や、住んだ土地、時代によって画風が異なっていたことを知りました。

渡仏して、モディリアニらエコール・ド・パリの画家たちと交流、影響を受けていますが、油絵に日本画材の金箔・墨などを使い、描き方も線描や南画の技法なども取り入れながら独自の世界を描いています。

肌色の乳白色も初め頃と、後々の乳白色とは少し感じが違うように思えるのですが・・・
パリから中南米をまわった際の現地の女性などは、一転して、色彩、描き方も力強く、日本に帰国後は濃密な色調・写実的な表現へと、戦争中は戦争画をと、その時代、住んだ土地などによって表現方法が変わっています。
戦争画は暗く悲惨な状況を記録描写しているため、じっと見つめられなかった。
戦後、フランスに戻り帰化、晩年は自分のイメージする子供なども描き、宗教を主題とした作品は緻密に描かれていて華麗で目を見張る。

猫が好きだったのでしょうか、たくさんの猫が登場、猫も可愛いと言うより凄みさを感じましたが・・・
自画像、画室を細密に描いた絵も何点かあり、藤田嗣治の人柄、生活を窺い知ることが出来ました。

可愛らしい絵が描かれた空ビンや箱の展示も・・制作の合間に描いて楽しんでいたのでしょうか?

藤田嗣治の「乳白色の肌色」について、NHKで何時か見たような気もしますが・・・何を使ってどのようにして描かれたものか知りたい!

 絵葉書

展覧会HP http://foujita.exh.jp/

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2006.06.04 Sunday

昆虫館で「ハチミツカフェ」

今日、6月4日はムシの日。。。
伊丹市昆虫館(http://www.itakon.com/)で、特別イベント「ハチミツカフェ」が開かれました。
同館のミツバチから、この春採取したハチミツを使った、ハニートーストやドリンクなどが販売され、温室の蝶も飲んでうっとり(?)の「ちょうちょドリンク」を飲んできました。嬉しい
スポーツドリンクにハチミツが入ったような味で・・・私は・私は×××××××で蝶になる・・・♪

ちょうちょドリンク、ローズティー        

ミツバチの巣から密を採取する実演があり・・・興味津々 ときめき
同館では5箱の巣箱を置いているそうで、巣箱から取り出した巣板には密ろうに守られた密がビッシリ・・・手動の遠心分離機で搾って漉すと「純粋ハチミツ」の出来上がり〜 拍手
子供達は、遠心分離機のハンドルを代わる代わる回し、チョットなめさせてもらったりで楽しそう・・・♪

巣板  遠心分離機  絞れたハチミツ

ミツバチが幼虫の餌やローヤルゼリーの原料として、花粉を団子状にして集めてきた黄色の花粉団子(米粒ぐらい)を、少し頂いてなめると甘〜い・・・若返りそうだゎ〜♪

ミツバチさんは小さいのに本当に偉い・偉い!! 拍手

花粉団子     

※伊丹市昆虫館 伊丹市昆陽池3−1 昆陽池公園内
http://www.itakon.com./

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2006.01.17 Tuesday

「神戸の壁」の隠れ文字

「神戸の壁」隠れ文字の由来
最上部のコンクリートが降下しそうになっていたのを取り外したその中に、1927年建設当時に、左官が書いたと思われる隠れ文字を発見した。
文字は「西ヤ東モタレカケテ南クル人北ガル」東西南北の語呂あわせを使って、市場の繁栄を祈ったものであろう。
竣工にあたり、この地の繁栄を願い、現物は津名町で保存し復元したものは、神戸、長田で展示している。
2000年1月16日
津名町長 柏木 和三郎
リメンバー神戸プロジェクト神戸の壁保存実行委員会 三原 泰治 

※このように隠れ文字の由来が彫られたプレートが有ります。





未来予想図2100タイムカプセル
神戸の壁に文字を書いた左官さん(?)は、このようになろうとは夢にも思わなかったでしょう。
100年後は?・・・・・未来予想図は当たっているでしょうか?

※未来予想図タイムカプセルも埋められています。

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2006.01.17 Tuesday

神戸の壁

明石海峡大橋を渡り、淡路市志筑(旧、兵庫県津名郡津名町志筑)しづかホール横に建つ「神戸の壁」を見てきました。
津名にゆかりの「静御前」の銅像(新谷 英子 制作)に並んで建っています。
高さ約7メートル、幅約14メートルの壁面に、7日〜17日までライトアップされます・・・・・夕方までいて見ればよかった・・・・・。

「神戸の壁」の由来
昭和2年頃、神戸市長田区若松町市場の延焼防火壁として建てられた。
第二次世界大戦の空襲に絶え残り、又、阪神淡路大震災においては、建物は倒壊全焼したが、この壁だけは「倒れず、焼けず」多くの人を救い導き、荒廃したなかに堂々と建ち残っていた。
「歴史を語る生き証人」である・・・・・と、碑のプレートに刻まれています。

神戸の壁よ永遠なれ
「震災を決して忘れてはならない」と発足した、リメンバー神戸プロジェクトは被災物を鎮魂と復活発展のため、指針シンボルとして保存する活動を展開。
神戸市長田区若松町3丁目の瓦礫の中から一片の残壁を「神戸の壁」と命名。
津名町が受け入れ11年2月11日移設、永久保存となったそうです。
(碑のプレートに刻まれた文から)



「神戸の壁」と「静御前」


2013.11.18 追記.
神戸の壁は、2009年1月に野島断層を保存する北淡震災記念公園に移設されています。

2014.01.19 追記.
この記事の一部分を編集して、ブログ「月に昇るその日まで」に移しました。
神戸の壁 ‥2006.01.17‥」2014.01.19

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2005.11.20 Sunday

国宝 「源氏物語絵巻」

ダイヤ徳川美術館(名古屋市) 開館70周年記念特別展

徳川美術館・五島美術館所蔵の国宝「源氏物語絵巻」19場面や断簡類が全面公開されました。(11/12〜12/4)

絵は、屋根を取り去り屋内が覗き込めるように描く「吹抜屋台」の構図。
料紙に墨書きの下図を描き彩色し、さらに顔、衣、調度などの図様を描き起こす「作り絵」。 
人物の顔は、「引目鈎鼻」と言われる同じ描き方であるが、緻密な画面構成・色彩効果によって、各場面の情趣、人物の心理がよく表現されていると言われる。

詞書は、流麗な連綿体の書風他で書かれ、使用された料紙には美しい装飾がされていて、絵・書と一体となって900年の歳月を経た現在も、王朝の貴人たちの雅な世界を伝えています。

絵は、歳月による傷み、汚れ、褪色(岩絵具はよく残っている)剥落などがあっても、古色の趣があり魅了されます。
額装された絵は、約22×38〜49(cm)で意外と小さい。

この目で、念願の国宝「源氏物語絵巻」を見ることが出来て大感激!


スペードよみがえる「源氏物語絵巻」

今年の秋、徳川美術館・五島美術館に所蔵されている、国宝「源氏物語絵巻」の19場面の復元模写が完成、その様子はNHKで放映されました。
できうる限り原本と同一素材・同一技法で製作すると言う基本理念のもとに模写がされたそうです。

今回は、「蓬生」をはじめ 9場面の絵を見ることが出来ました。
まばゆいばかりの鮮やかな色彩、図様が細やかに再現されていて、
息をのむ美しさ!
現代の画家たちが製作したこれらの作品は、1000年先にはどのようになっているでしょう?


柏木二 復元模写 よみがえる「源氏物語絵巻」図録より

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2005.11.14 Monday

太陽の塔

絵の制作用のスケッチ、モチーフ集めに、万博公園に行ってきました。
日本庭園も紅葉が始まっているが、訪れる人もまばらで、静かな佇まい。

大阪万博から35年、今もシンボル”太陽の塔”(岡本太郎 作)は健在。

何時も正面ばかり見ていたが、緑色で縁取られた背面の顔に気がつく。見る

すっかり忘れていたが、顔が4つあったのです。
黄金の顔(未来の顔)、太陽の顔(現在の顔)、黒い太陽(過去の顔)。
4つ目の地底の太陽は現在行方不明だそう。
(万博資料より)


10月18日 撮影 


11月14日 撮影

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2005.08.24 Wednesday

十二単

源氏物語と京都 「六條院へ出かけよう」
京都文化博物館・別館(旧 日銀京都支店、明治を代表する洋風建築、国の重要文化財)では、風俗博物館の出張展示で「源氏物語」藤裏葉の巻より「六條院行幸」の場面が原寸及び縮小された人形・小道具等によって具現展示されています。
(9月10日まで)

衣裳体験コーナー(本館)にて、十二単・袿・狩衣・物詣・白拍子等が着られるので、十二単を着てみようと思ったが、ダンナの「ヤメトキ」の一声で、”かぐや姫の十二単姿”が実現しなかった。しょんぼり
良い季節に、あらためて是非体験してみたい。!

 御所車  十二単

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2005.08.23 Tuesday

無言館

無言館・・・戦没画学生慰霊美術館

長野県上田市の郊外にある無言館、以前から訪ねてみたいと思っていましたが、無言館”遺された絵画展”が京都へ来てくれました。 (京都文化博物館)

作品の傍らに顔写真、略歴(出身地、戦死した場所、享年)等が記されているが、大半は20代か30代前半で戦死。
どの作品も心打たれるが、出征直前まで絵筆を握って描かれた家族、特に妻や妹、故郷の風景に惹かれた。

遺作が無言のうちに語りかけている・・・見る者も無言になってしまう・・・。

収蔵作品のうちから137点展示されているが、機会があれば信州・上田の無言館を訪ねてみたい。

              スケッチ

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2005.07.28 Thursday

徳川美術館

愛・地球博の翌日、徳川美術館(名古屋市東区)に行ってきました。
20年前にも観覧したことがあり2度目になります。

1935年(昭和10年)尾張徳川家十九代義親によって開館された私立美術館。 
大名家の宝庫・コレクション(大名道具、千代姫の婚礼調度品なども)、源氏物語絵巻などで有名。
「源氏物語絵巻」は現存する最古の物語絵巻で、常設展示はレプリカや映像などで鑑賞できる。

今年開館70周年。 所蔵する国宝15場面すべての復元模写(平成10年〜17年3月まで)が完成し、春季特別展で一般公開された。(しまった!
11月12日(土)〜12月4日(日)まで、当館所蔵品に加え五島美術館所蔵の「源氏物語絵巻」や断簡類を含め、10年ぶりに一堂で公開される。(行きたい!

「源氏物語絵巻」の画中の人物は「引目鈎鼻」といわれる同じ顔の表現方法であるが、緻密な画面構成と色彩効果によって、各場面の情趣、人物の心理がよく表現されているといわれる。

二千円紙幣の裏にも「源氏物語絵巻」が・・・ナゼか流通していませんネ。?

・尾張徳川家名古屋別邸の「表門」をくぐると美術館

表門

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2005.07.27 Wednesday

トヨタテクノミュージアム

産業技術記念館
ハート 会いたくて・・・

愛・地球博でトヨタグループ館の観覧が出来なかったので、翌日、名古屋市内にあるトヨタグループの産業技術記念館に行ってきました。

繊維機械と自動車の産業・技術のうつり変わり等が、分かりやすく紹介されています。
「研究と創造の精神」と「モノづくりの心」に、出会う、知る、体験する、ことが出来ます。

会いたかったロボットにも会えました。嬉しい

・パートナーロボット二足歩行型 「トランペット」
・一人乗り未来コンセプトビーグル 「i-unit」   
・トヨタ最初の乗用車 「AA型」

パートナーロボット i-unit
AA型乗用車    

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2005.06.18 Saturday

平山郁夫 美術館

先日、尾道から今治までを10の橋で結ぶ”瀬戸内しまなみ街道”のうちの生口島にある”平山郁夫 美術館”に行って来ました。

生口島は平山郁夫の故郷で、幼少期・青年期の作品・最新の大作のほか、多くのスケッチ、デッサン、作品制作の上で重要である大下図なども展示されています。

”シルクロードの人、日本の人”の小特集の期間で、スケッチと本画が合わせて鑑賞出来ました。

平山郁夫美術館

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