竹取物語

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シニアのかぐや姫が語る、日々の出来事・感じた事など・・・。

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2006.01.17 Tuesday

「神戸の壁」の隠れ文字

「神戸の壁」隠れ文字の由来
最上部のコンクリートが降下しそうになっていたのを取り外したその中に、1927年建設当時に、左官が書いたと思われる隠れ文字を発見した。
文字は「西ヤ東モタレカケテ南クル人北ガル」東西南北の語呂あわせを使って、市場の繁栄を祈ったものであろう。
竣工にあたり、この地の繁栄を願い、現物は津名町で保存し復元したものは、神戸、長田で展示している。
2000年1月16日
津名町長 柏木 和三郎
リメンバー神戸プロジェクト神戸の壁保存実行委員会 三原 泰治 

※このように隠れ文字の由来が彫られたプレートが有ります。





未来予想図2100タイムカプセル
神戸の壁に文字を書いた左官さん(?)は、このようになろうとは夢にも思わなかったでしょう。
100年後は?・・・・・未来予想図は当たっているでしょうか?

※未来予想図タイムカプセルも埋められています。

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2006.01.17 Tuesday

神戸の壁

明石海峡大橋を渡り、淡路市志筑(旧、兵庫県津名郡津名町志筑)しづかホール横に建つ「神戸の壁」を見てきました。
津名にゆかりの「静御前」の銅像(新谷 英子 制作)に並んで建っています。
高さ約7メートル、幅約14メートルの壁面に、7日〜17日までライトアップされます・・・・・夕方までいて見ればよかった・・・・・。

「神戸の壁」の由来
昭和2年頃、神戸市長田区若松町市場の延焼防火壁として建てられた。
第二次世界大戦の空襲に絶え残り、又、阪神淡路大震災においては、建物は倒壊全焼したが、この壁だけは「倒れず、焼けず」多くの人を救い導き、荒廃したなかに堂々と建ち残っていた。
「歴史を語る生き証人」である・・・・・と、碑のプレートに刻まれています。

神戸の壁よ永遠なれ
「震災を決して忘れてはならない」と発足した、リメンバー神戸プロジェクトは被災物を鎮魂と復活発展のため、指針シンボルとして保存する活動を展開。
神戸市長田区若松町3丁目の瓦礫の中から一片の残壁を「神戸の壁」と命名。
津名町が受け入れ11年2月11日移設、永久保存となったそうです。
(碑のプレートに刻まれた文から)



「神戸の壁」と「静御前」


2013.11.18 追記.
神戸の壁は、2009年1月に野島断層を保存する北淡震災記念公園に移設されています。

2014.01.19 追記.
この記事の一部分を編集して、ブログ「月に昇るその日まで」に移しました。
神戸の壁 ‥2006.01.17‥」2014.01.19

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